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仕事上、色んな年齢層はいますが上手くやれてますか?
職場では当然色んな年齢の人と接します。
あなたは、自分の世代が一番正しいと思ってませんか?
それがジェネレーションギャップの根幹です。
若者の仕事に対して理解できない中高年
この間、居酒屋で
「最近の若い奴は仕事ができない」と愚痴ってた中年男性が同じくらいの年齢の人と熱く(?)語り合っていました。
以前の投稿「仕事の教育 成果と裏切り」でも書いたのですが、それをちゃんと教育してないあなたが悪いのでは?と思ってましたが、確かにこのセリフ近年よく聞きます。
果たして本当にそうでしょうか?
このセリフは昔からあったもので、そのセリフを言ってる本人も言われてたのかもしれませんが、そこまで推測はしてないと思います。
ですが、昔より一年の差が大きく、三年年の差があるとギャップを感じると言う20代も前の職場では少しいました。
私は今40代ですが、逆に今の若い人の考えに学ばさせてもらうことが多々あります。
例えば好きなジャンルがメジャー、マイナー関係なく堂々と自信を持って言う人が増えたこと。
昔は男でディズニー好きやハローキティ、少女マンガ好きは嫌悪の対象となることが多く、その知識や愛を否定されてましたが、今では多くの人が凄いものは凄いと認めてあげる様になってきました。
それも、若者中心に。中高年は未だそういう文化を受け入れにくい人も結構いるのですが…。
良くも悪くも平等に近付いてきているのですが…年齢が上げるほど、それを不快に思う人が増えるのも否定できないのです。
中高年が若者に価値強要をする理由
確かに最近はオジサンやオバサン、高齢者も上下関係がだいぶ緩くはなっていますが、まだまだ壁を持つ人は少なくありません。
なぜ、そうなるのでしょうか?
人間は自分がやっていることを正しいと思い行動しています。それを長年積み重ねていくと、当然揺るがない自分の正義が構築されていきます。
これはそこに至るまでに経験が左右するのですが、例えば、パワハラが普通のブラック企業で出世し、ある程度成功すると、それ以外の例外パターンは「おかしい」部類になります。
おかしいものは自分の正義の価値観から見ると正義を脅かす悪なのです。正義は悪を倒すのに最高の理由なのです。よって正義は悪を正そうとするのです。正義という名の力を行使して。
でも、裏を返すと怖いのです。自分の築き上げたものを根底から壊す存在は、今までの自分を否定することであり、その価値観にすがれなくなると、自分が自分でなくなるのです。
人間
変化を嫌う
避けるのは
普通なのです
なぜなら、遥か昔、人間は様々な困難や変化で命を落としてきました。本能的にそれを避けようと自分を守るのはある意味人間らしいのかもしれませんが、今の時代、変化がこれだけ多いと避けて通るのは現実的ではないのかも知れません。
怖がろうとも避けようとも、時代の変化の速さは避けれないのが現代です。
見方を変えるならば、地球で様々な気候変化で種が生まれ、滅びたように、実は今のこの変化の速さで着いていける種の選別を行っているのかも知れません。
その証拠に
年齢、性別の差はネットや科学などの文明によって埋められていき、稼ぎも年齢による経験が大きかった昔に比べ、いかに工夫していくかで補えるようになりました。
断言しましょう
年齢による経験のメリットは、生かせないなら無いのと同じ。今、チャンスはどれだけそれを見つけ手に入れるかだけです。
一昔前の年齢による身分制度のような格差は無くなってきました。
中高年の皆さん、それでも過去の栄光にしがみつきますか?それとも、そんなもの捨てて、少しでも早く新たな世界を認め受け入れますか?
ただ、勘違いして欲しくないのが、今を作り上げてきたのも今の中高年なのです。
若年層の人も、頭の固い中高年と見下さず、手を差し伸べてあげてください。それができないなら、あなたも頭の固い中高年と大して差はないですよ。
世の中の仕事の価値変化、本当に正しい?
早出残業、サービス残業、長時間労働、日祝出勤…今色々な過去の評価されてきたものが駆逐されていってます。それはすばらしいことなのですが、なぜそうなっていたかを考えずに、ただ廃止をすると大変な未来が待っているかもしれません。
まず、なぜ、昔はブラックが通常使用だったのか?
- 残業で稼げたし、評価をもらえてた
- こなす仕事が多かったが、みんなもやっていた
- そうしないと間に合わないような過密な内容が多かった
- 仕事より家庭では出世できなかった
- 男が稼いで家庭を支えてた
まだまだ理由はありますが、今とは完全に真逆の価値を社会の価値観としていたと言えるからです。
ただし、私は一つ懸念があります。
便利さを求めている世の中で、こういう価値観を表面上排除して解決しているように見せて、弱者に押し付けて蓋をする。
ブラック企業は無くなれど、ブラックに使われる個人事業主や派遣社員、日雇い労働者が増加していかないことを願ってはいます。
そういう観点から見ると、今の単純に労働時間短縮が正しいというのは、前者の昔の考えのように、社会の価値観に踊らされてるだけなのかもしれないかもしれないのならば、昔の価値観、完全に悪いと言えるでしょうか?
ひょっとしたら数十年後、今の時代の考えがおかしいと批判されてたりするかもしれませんよ?
ゆとり教育が間違いと言い、教育内容がどんどん増えていってるように。
経験が上か、才能が上か?
これに関しては業種にもよるのかなと思いますが、少しずつ経験を文明の利器で埋められつつあります。
ただ、日本の文化である「家柄、年齢、地域、歴史、調和」の五大障壁(私が勝手にそう思っています)がある以上、中途半端な会社では若年層がベテランより才があってもベテランの仕事をまずさせてもらえません。
ここで、この理由の良い意味で用いてる時と悪い意味で用いてる時を説明していきます。
良い意味だと仕事の本質と礼儀を理解させるためにあえて下積み経験を踏ませるということがあります。
どんなに才能があったとしても、慢心し横柄になるなら、結果的に、才能に飲まれ自らを滅ぼすことになりかねません。
つまり、心の教育という意味で指導されることにより洗練された立派な一人の人間として成長を促すことがあります。
悪い意味ではただの風習。簡単に一足飛びをされては無能な先輩や上司はたまったもんじゃあありません。
よって才能よりも自分の手駒として飼い慣らし、私利私欲のために教育という大義名分を掲げ、才能潰しや才能利用で自分たちの地位の安定を必死で行います。
前者の場合、それが合わない人もいるでしょう。それは個人の尊重を促す現代では無理強いできませんが、そうなると自分で何かを立ち上げ、自ら学んでいくしかないでしょう。
ただ、後者の場合は…
私なら満面の笑みを浮かべ、中指立てて辞表を出してやります。
そんなとこは
いても時間の無駄!
失敗したと認め
それを糧に
他で成長しましょう
まあ、先々考えるなら、円満に辞めて、自分の手札としておくのがベストですけどね。
若者は苦労して仕事を覚えるべきなのか?
要点を要領よく学び、さっさと仕事を覚えたいのが現代の若者です。
ですが、中高年の方々から出る声は
「楽して仕事が覚えられるか!」
と一喝。
それ、おかしいです。
別に仕事を覚えるのに
「苦労をしなくてはならない」
というルールはないです
それに、人それぞれつまずく所は違い、そこで嫌でも苦労します。そして覚えていきます。
それなのに、更に無駄に苦労を重ねなくてはならないのでしょうか?
私はそうは思いません。
中高年の人に対して聞きたいですが、今、部下に用事があるとき、会社に電話して会社から部下に連絡を取ってもらいますか?
昔はそうだったでしょうが、今はスマホなどの電話保有が当たり前。それを利用して部下に直接連絡を取りますよね?
つまり、要領よく覚えていかなければ、今の時代、情報が多すぎて無駄なところにじ時間が避けれないのです。そこに余計な苦労をさせるのは全く意味がないと私は思います。
ただ、苦労は
避けてばかりだと
成長は無いので
先に繋がる苦労を
見極めていく能力が
必要です
年の功の暴落
年の功が昔は黄金でした。しかし、今は多少知っているはネットの普及に黄金は石ころになってしまいました。
よって威厳も消えてしまいました。
残念ですが
年齢=尊敬
これは過去の価値観
でしかないのです。
ただ、年齢を問わず認められる人は認められるのです。それは、時代にあった相手を認めさせる力を得ているということです。
昔はその一つが年齢であっただけで、それが変わっただけです。でも、その分、打ち解けやすくなっているというメリットがあるのも忘れてはなりません。
私も40を超えてますが、youtuberの年下の人から学び、教えられ、少しずつ自分の視野
を広げることができてます。
確かに全てが正しいかと言えばそうではありません。
そこは年相応の相手を見て判断する能力と生き抜いている経験を用いて自分の活用できるものを取り入れたらいいだけなのです。
ただ、どこか年齢を上手く利用しようとする若者もいるので、そこは経験を生かし、上手く諭していくことも必要な場合もあります。
教育に関しては
などの私の投稿を参考に見てもらって考える材料としてもらえると幸いです。
年齢を超えて分かり合えるのか?
急激に年齢差の壁が薄くなり、色んな人が対等になる時代は年齢が高くなるほど受け入れが難しいかもしれません。
若い世代はそれが普通なので違和感なく受け入れて行きますが、年齢が高いほど自分の経験が壁として立ちふさがるようになります。
逆に若い人は経験が無いために年齢による経験の壁、脳の柔軟性の差、築き上げたプライドなどが理解しにくいのです。
昔は大家族、近所の交流が多く、そういう幅広い年齢と接していたため、今とは違った意味で年齢の高い人とも接することは難しくなかったのです。
それに、今、年上は恐る存在では無くなりつつあります。ただ、権力や経験を振りかざすうっとうしい人に見えてるのかも知れません。むしろ、若い人の方がSNSを活用できるので巨大な力を得ているかもしれません。
そんな現代で年齢は見方を変えると壁では無くなってきてるのかも知れません。
私もネットで知り合ったグループがありますが、年齢、性別、職業は様々、一つの趣味で集まりで繋がれると言うシンプルなものです。
私の周りではプライベートでの年齢の壁は無くなっているように思えます。
ですが、仕事ではまだまだのように思えます。
いくつか仕事を転職した経験から言うと、年齢や経歴で下に権威を振るっている会社は停滞しています。何より、上司が肩書きに物言わしてパワハラや強引な施策をしていました。
それをされて嫌なはずだったのにそれを下にやる…他の教育を思いつかない、もしくは今の自分に疑いがないかのように振舞うのです。
別の原因として思うのが親が子に年齢の差による力で押さえつけることも言えるかもしれません。親から暴力を受けた子供は自分の子供に同じことをする確率は高いそうです。
更に学校の部活動なども言えるでしょう。
そんな会社、親、部活がある以上、年齢の壁は存在し続けるのかもしれません。
確かに、それが正しかった時代、責任問題の有無でそうならざるを得ない時もあるでしょうが…年齢は経験がそれだけあるわけで、広く物事をみれるはずです。
その逆に若い人は、今若いだけで、すぐにオジサン、オバサンになります。
年上を煙たがる行動をしていると、自分もその煙たがられる年齢になった時、自分が嫌がっていた行動をするようになります。
なぜか?
どうしてそういう行動をするか理解できないなら、回避のしようがないからです。
拒否は楽だが
視野と思考を大きく削ぐ
理解は面倒だが
世界と視野を広げてくれる
年齢の差は生きている以上避けられないもの。裏を返せばそれだけ自分の世界を広げてくれるチャンスがそれだけあるのかもしれませんね♪